にちプチ 【Nichi-Petit】

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日常のプチ情報やプチンときたことを書きなぐるブログ

動物とのふれあい。人間はどこまで自然と共存できるのか

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はじめに

 「自然」それは時に人を魅了し、時に人を死たらしめる畏怖すべき存在。
その自然の中で人間は社会を形成し暮らし、「ペット」または「家族」と称して異種の動物と生活を共にしています。中には野生の動物と邂逅し、関係を育むことも・・・

 今回はそんな自然に対し、人間はどこまで足を踏み入れることができるのかを考えてみたいと思います。




「愛情」を理解しうるのか

 「愛情」とは何なのでしょうか?僕もわかっているつもりですがうまく説明できません。
僕は以前犬を飼っていましたが、飼い主である僕個人としては犬から「愛情」を感じていました。それは僕が近づくと尻尾を振り、体を擦り付け、顔を舐め・・・
およそ犬の「愛情表現」と呼ばれる行動をしていたからです。それだけではなく、困ったときは困惑した行動を見せ、静かな時は黙ってこちらの行動を見守り、限りなく人間の価値観に近い行動を見せてくれました。

 一方で一般的に「猛獣」と呼ばれる動物たち。トラやライオン、クマやゾウなど、子供のころから人間に育てられている個体でも人を襲うことがあります。イエイヌでも飼い主を襲い、死なせてしまうことがありますよね。

 「愛情」の最小単位とは「相手を生かす」ということだと考えています。しかもその度合いは一定ではなく、その時の気持ちや状況に左右されるとも。
そう考えると、人を襲った動物たちは愛情を怒りが相殺し、そして超えてしまったのでしょうか。確かなことは誰にもわかりません。


「人間」という理性の塊

 人間は「言葉」を話します。しかも喜怒哀楽だけの単純な感情だけではなく、その中の微妙なニュアンスを使い分け、且つ何故そのような状況に至ったかという道程まで表現できるのです。
一方動物は、喜怒哀楽を顕著に表す種は見られますが、あくまでその時の感情であり、筋道を立ててその状況を説明できる動物はいません。
もっと正確に言うと「人間にとって」いないだけで同じ種同士ではそのコミュニケーションが取れているのかもしれません。とにかく、人間がその動物たちの「言葉」を理解できなければコミュニケーションを図るには不安が残るということですね。
人間同士ですら、行き違いでケンカしますもんね。

 しかし度々話題に上がるゴリラの「ココ」は、人間の言葉を理解し、手話などで話をすると言います。これに関しては人間と動物(霊長類)の共存に未来を感じる出来事ですね。


「種」という括りの愚

 人間が調査した中で、「友好的な動物」なんて言うのがありますよね。イルカなど代表例で、知能も高くこちらの言葉をある程度理解する者もいるとか。
対異種関係においてイルカは「友好的な種」と言う感じでしょうか。しかし知能の高い生き物ならば、人間を例にとれば分かると思いますが、色々な個体がいます。ちょっと騒いだだけでめっちゃ怒る人もいれば、足を踏んづけても笑っている人もいますよね。

 飼育下のシャチでも人を殺したり、イルカでも噛みついたりと、事故が全くないわけではありません。 そういうものさしで見ると、動物たちにもいいやつや悪いやつがいて、人間の思っているような傾向だけでは語れない部分もあるかもしれません。


まとめ

 人間と動物。同じ意味の上にあって同列に語られないこの関係は、自然界と人間の溝を物語っているのでしょうか。
僕個人としては猛獣たちとふれあっている姿はとてもうらやましく、肯定したいものです。しかし相手は単純な力も生命力も人間を大きく凌駕しうる存在です。

 「コイツは人を襲わない」なんて言うある意味支配的な見方をするのではなく、自然への畏れと尊敬の念を持って接したいですね。

すごい動物学