にちプチ 【Nichi-Petit】

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

にちプチ 【Nichi-Petit】

日常のプチ情報やプチンときたことを書きなぐるブログ

なぜ昭和は「良い時代だった」と言われるのか考えてみた

スポンサーリンク

 

 昔はよかった!!

こんなこと言うと「懐古厨は(・∀・)カエレ!」と言われるかな?(これも古い)

 

僕らにとって、昭和ってなんであんなに魅力的な時代に映るんでしょうか?
その真相を追ってみたところ、僕なりに一つの結論が出ました。

 

それは「情報と真実」

 

そのことについて、今日は深く掘り下げます。

 

 

 

「激動の時代・昭和」はホント?

 こんな触れ込みをよく聞きますよね。

でも果たしてその通りなんでしょうか?

冷静に思い返してみると、平成の今の時代だって激動の時代だと僕は思います。

 

「事件」という観点で世界的には9.11テロもそうだし、日本国内では3.11東日本大震災。

アメリカの黒人初の大統領、各国で起こるテロ活動、民主党政権、記憶媒体の発展etc……

 

何を挙げても後に平成が過去の年号になって、教科書にでも載れば「激動の時代だな……」と言われそうな内容。

 

唯一顕著な差を感じるのは「人の物理的な動き」だ。

平成初期から遡り昭和に突入すると、当然ながらインターネット含む個人間の通信手段が非常に乏しい。

そうするとどうなるか?

 

「情報の錯綜」が起こる。それによって人は「真実は何なのか?」「この不確定な状況で何をすべきか?」と右往左往することになる。

それがオイルショックによるトイレットペーパー買占めであったり、大きなところで考えると戦争の引き金の一端でもある。

 

当時の双方向なコミュニケーション手段が手紙であり、良くて電話や無線であることを考えると、今よりも容易に情報の湾曲が可能である。最初は正しかった情報も、伝言ゲームを繰り返すうちに尾ひれがついて、羽がついて……

どんなに賢い人間も「確かな情報である」という確信を持つのが現代よりはるかに難しい。

 

そこから乱暴に考えると、当時の情報発信は「噂話」の延長であると言える。

対して現在は、インターネットを介したメール、SNS、WEBページなど、個人の考えや専門家の意見などを容易に収集できる。

一時流布した噂話も、事実関係の取得が容易であるため一瞬で沈静化することがほとんどである。

 

その例として、熊本地震における動物園のライオン脱走事件が挙げられる。

「熊本地震でライオン脱走」Twitterにデマ拡散の男を逮捕 - ITmedia ニュース

 

僕は実家が熊本であるため、あの写真を見た瞬間戦慄した。

しかし、ツイッターやブログなどで「この件は愉快犯によるデマ」とすばやく結論付けられたことで事なきを得た。

実際は別の国の写真であったということで終わり。

 

これが昭和だったらどうだろう?

愉快犯は写真をテレビ局や新聞社に送り、噂話を流せば被災地は混乱の渦だ。

みんなが悲鳴を上げ逃げ惑い、熊本はゴーストタウン化するかもしれない。

 

これは実際に大正時代の関東大震災で「朝鮮人(当時の呼称)が井戸の水に毒を入れた」「武器をもって暴動を起こしている」というデマで朝鮮人狩りが行われたことから考えると、決して絵空事ではないと思う。

「激動」であったのは事件そのものではなく「情報の錯綜」に翻弄される人間の姿だったのだ。

 

そら昭和当時に地元で地震が起きて「ライオンが逃げたぞー!!」言われたら「わー!!」なるわ。

 

 

知らないことって、幸せ

 今の僕らも、昭和の人と同じく買い物をする。

技術は進歩しているが、昭和の人と同じように炊飯器を買い、洗濯機を買い、使ってる。

何が違うかというと、購入をするときに多くの人の意見が聞けるようになったことだ。

 

昭和でくくるととても範囲が広くなってしまうが、概ね戦後~30年ほどの範囲を指していると考えると、物を購入するのは今よりもずっと冒険だったろうと思う。

 

その商品特有の不具合があってもAmazonレビューなどない。

詳細なスペック表示などもない。

買って、そして時間をかけて使ってみるまで誰も何もわからないのだ。

 

比較的新しい話だと、ゲームだってそう。

システムに基づいた確固たる攻略法などなく、みんな試行錯誤してその方法を見つける。

何度も何度も購入して痛い目を見る。何度も何度もプレイして攻略法を見つける。

 

対して今の時代、購入物はスペックが詳細に並べられ、妄信はできないものの使用感などのレビューが見ることができる。

買った商品はおおよその動作が予想できるし、気に入らなければ整備されたシステムに則って返品すればよい。

ゲームの攻略など、検索すればすぐに出てくる。チートコードをチョチョイのチョイ

 

文章に起こすと更に思うが、今の時代のなんと味気ないことだろう。

僕が生まれたのは昭和61年で、もうほとんど平成であるがそれでも昭和はいい時代だったろうなーと思いを馳せる。

 

それはネッシーであり宜保愛子でありサイババでありビッグフットであり、ノストラダムスの大予言である。

これらはトリックが証明されたものもあるが、当時の人々を大いに沸かせた。

 

誰彼が宙に浮いている写真や映像を見て「コラだ」「合成だ」「ピクセルが~」「背景が~」などと声を大にして言う人(主に専門家)がおらず、ただただ信じるのみ。

信じなくても、何か得体の知れないものとしてしか認識できないそのスリル。

 

この世界は、とてつもなく広く、不思議なことにあふれている!!

それが昭和時代であったのではないだろうか。

 

 

技術の変化が見やすい時代

 僕らが今使ってるスマホ。これってとんでもない技術革新だと思う。

電話に音楽にネット、カメラ、レコーダー、果ては株取引……その他もろもろがこの手のひらで完結する。

 

CDはDVDになりDVDはブルーレイになる。その他記憶媒体の容量の爆発的な増加。
それでもワーワー騒ぐのはそのリテラシーを持った人だけ。

大多数は「すごいねー」で終わり。

 

対して昭和。

テレビを見るために近所の子の家に集合。そしてカラーテレビが出るとそこに殺到。

洗濯機が出た! もう手で洗濯板をガシガシしなくていい!! なんてすごいんだ!!

冷蔵庫! 食べ物長持ち!! なんてすごいんだ!!

そして伝説へ・・・(三種の神器)


なんだろうこの差。

できること、これからの発展性を考えるなら、スマホや現代技術は決して劣ることがないのにこの温度差。

 

その違いはその技術の発展が「絵的にオイシイ」ものであるかどうかだと思う。

ユニバーサルデザインといった概念や、既存のものを形は大きく変えずスペックを発展させる今より、とにかく新しい、とにかく得体の知れないものが出続けていた昭和が当時のみんなにとって新鮮だったに過ぎない。昔の変速ギヤ付きの自転車とか調べてみると面白いかも

 

それは言い換えると技術の黎明期であり、その方面ではまだまだ「いい時代」というには程遠い存在である。

 

 

余談。

その当時の様子を現代に残す資料も文明レベルで言うとまだまだ未熟で、決して「この記録が当時のすべて」と言い切れないのが面白い。

おそらくは、昭和が平成のように通信技術だけが発展していたら「明治は良かった!!」という意見が蔓延するだろう。(大正は時代と言うには短すぎるが)

 

そして、どの記録・見解が正しいのかの無限ループ。

これも時代の流れとともに少しずつ無くなっていくんだろうなー

 

まとめ

 昭和を振り返って「いい時代だった!!」と思うのは

  • 知らないことや解明されないことが多かった→冒険心やスリル
  • 技術変化が黎明期を迎えており、色々な試みが見られた→一見無駄に見えるものも商品として成立した
  • コミュニケーションツールの貧弱さが個人の自由を侵すことがなかった→「今何してる?」という投げかけが無い

以上の要素が大いに関わっていることが分かってもらえたと思う。

 

そしてその記憶に残っているそれぞれの思い出や体験は、これから時代が進んでも現代のそれと不等号で比べることができない。

 

最初に述べた「情報と真実」

これをロマンチックに言うと、情報が真実だと確定することが必ずしも僕らにとって良いこととは限らないということを「昭和」やそれ以前の時代が教えてくれたんだと思う。

そういう意味で考えると、「昭和」という時代は後に語り継ぐにもとても(技術的に)いい位置だったんだなぁ。

 

みんなが記憶や思い出とともに作り上げてきたこの「昭和」という時代は、これからも美しく輝き続けることだろう。

 

僕は今のほうが好きだけどね!!


思い出エンド