にちプチ 【Nichi-Petit】

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「流行りものが嫌い」という流行はいつ廃れるんだろうか

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「流行りもの嫌い」という悪習をなくしたい

 皆さんの身の回りには「俺(私)って流行ものが嫌いなんだよね」「流行に流されるなんてくだらない」なんてことを言う人はいませんか?

 

僕が会ってきた人の中にもこんな人が多少いたんですが、正直

 

そんなこと言われても……

 

な気持ちです。その場では何と言えばいいかわかりません

「だから何よ」って言い返したいところでもあるんですが、その人の「流行を嫌うことで保たれるアイデンティティー」みたいなものが見え隠れして、そこを傷つけることは本人の心を大きく傷つけるような気がして戸惑ってしまうんです。だからここで書く!

 

嗜好に関する流行の過程は2つある

 そもそも大ヒットを生み出すような流行というのは2種類のスタートラインがあります。

 

  • 地道な宣伝の結果、自然と様々な層の人々の支持を得て評価が伝播する
  • すでに高評価であることを流布し、流行りもの好きな人をターゲットに評価を伝播させる

 

しかしこれらはあくまで「物事の出自」を論理的に述べただけで、現在流行しているものがどちらであるかは誰にもわかりません。(バレバレなものもあるけど)

あるいは途中までが前者でも、その勢いを加速する過程で後者の道を辿ったものもあるかもしれません。

 

ただ、その中でも多くの人々の嫌悪感を誘う流行は後者でしょう。

それは巧妙にステマされた商品であり、的外れな評価を得た俳優であったり、誰が着るのかわからない洋服です。

 

流行りもの嫌いの思考回路ってどんな感じよ?

 先述の通り、流行には人の興味を引くものと、人の嫌悪を誘発する二つの要素があるということです。

しかし流行もの嫌いの多くはそのどちらも嫌い、辟易しています。

 

そこで僕は思うんです。

 

この人が好きなものが急に流行りだしたらどうなるんやろか……と。

 

その瞬間自分の好きだったものを捨てるのでしょうか? それとも自分以外の新規参入者は「にわか」として拒絶するんでしょうか? どっちにしても不幸です。世界中のお友達候補が減っちゃう

 

誰しもが幼稚園や小学生くらいのじゃりんこだったときは「○○くんも△△レンジャーの靴持ってるから買って!」とか思ったんじゃないでしょうか。

それが中学生になり、少しずつ自我が熟成され、「自分」という存在を必要以上に重く捉えるようになり、そこで生まれる「他人と違うオレ」というわかりやすい思考の流行。中高生あるあるやね

 

なので僕には「流行りものが嫌い」という人はいつまでもこの流行を引きずっているように見えます。んで「流行りもの好き」な人が無個性に見える一方で、「流行りもの嫌い」も蔓延して無個性に見える不思議

 

言葉に振り回されすぎている

 この世には「無宗教」という宗教が存在します。

言葉だけ聞くと「何言っとるんやろコイツは?」みたいな感じですが確かにあるんです。

 

特に無宗教を自負している方々はその思考が過激で「無宗教なんだからクリスマスは祝わない!」「無宗教なんだから墓参りなんてしない!」なんていう主張もちらほら見かけます。

 

「流行もの嫌い」もそれに同じく「流行っているからこれは嫌い!」という固い意志のもと己を貫こうとしてる人が多い気がします。

しかし、よほど変な人でなければ機械的に流行りものを嫌いたいわけではなく、「流行に流されず、矜持をもって物事を判断したい」ということだと思います。だから、自分の好きなものが流行りものでもいいはずなんです。

 

無宗教の話もそうですが、自分のポリシーの反対側にある物事が必ずしも敵であるとは限りません。

見方を変えると、無宗教ならば宗教に関係なく色々なイベントを楽しめばいいし、流行りものに関しても全ての流行には乗らずに自分の好きなものだけ拾ってあとはスルーすればいいだけ。

 

真の「流行りもの嫌い」なんていう思考は本来ならば誰にもできないこと。

無理にそんな自分を貫いたところで自分も窮屈だし他人も困るよ?

 

そんな話です。

 

 

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