にちプチ 【Nichi-Petit】

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「継続は力なり」は本当か? 短い人生を有意義に生きる

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 「継続は力なり」

いい言葉だねぇ!! 僕は結構飽きっぽい性分で、何でも長続きしません。

親からも「あんたは何でも長続きしないから」と新しいことを始める前に割と止められたり、期待されてませんでした。

 

ちなみにこのブログ、2016年12月現在7ヶ月目。

何度も言ってるけど今までのブログは5~6個作ってるけど、更新した記事数は2とか3とかで終わり。しかも、100文字とか200文字くらいの誰が読むんだってくらいの個人的日記。

だからこの短期間ですが、人生で指折り数えるくらいの「継続は力なり」を感じてます。

 

でもさ、人生において「継続すること」だけが評価を受けるのってなんか釈然としないよね。

 

人生って有限。そして人の夢や、やりたいことの数はその短い人生からするともうほぼ無限に近い。

だったら、自分に合わないこと、向いてないことを続けても仕方ないよね。

 

 

 

飽きっぽいことのデメリット

 飽きっぽいことって、一般的には悪癖であり「主体性がない」だとか「長続きしない」っていうマイナス評価が多いです。

悔しいけどそれは反論の余地もなく、そのとおりです。

 

 だってさ、職場にいればいつ辞めるかもわからないし、家庭から見ればいつ仕事辞めるか分からない夫なんて不安で仕方ないよね。

そうやって続かない人は、信頼も得られず、人との関係も築けない為、割と一人ぼっちだったりします。

 

  • 安定した人生を歩めない
  • 人間関係も希薄
  • 信頼が得られない

 

これらのデメリットは人生ではかなりのハンディキャップになる。

特に、人間関係においてはそれが顕著で、自分が困ったとき、誰も助けてくれない。

上辺だけの関係ならいいとして、何か頼もうって気にもならないよね。

しかも一番近い親という存在は自分が存命中にずっとそばにいてくれるわけではないので、歳を重ねれば重ねるほど乏しい希望も失っていくことになる。

 

そうなると、最後に待っているのはホームレス? 孤独死?

そんなのいやだああああああああ!!!!!

 

だからみんな今頑張っている仕事なんか、嫌いでも必死で頑張る。続ける。

なんとか食らいついて、今を一生懸命生きてる。立派だ……

 

こうやってみると飽きっぽいことのデメリットってハンパないよね。

 

 

 

飽きっぽいことのメリット

 さんざんディスってきた「飽きっぽさ」であるが、如何せん自分もその範疇の人間であるので、そのメリットも見てあげたいと思う。

 

最初に見も蓋もない評価をしてるので、メリットなんぞ見えるはずもないと思われるけど、これはこれで僕は恩恵を受けている。

 

まず「何でもコロコロ変わる」というのはとってもフットワークが軽いことを意味する。

だから自分に合わない、意味がないと思うことは基本的にやらず、最低限自分に何か良い結果をもたらすようなものをとにかく探す。

所謂「めんどくさがり屋」の要素も含んだ飽きっぽさである。

 

ゆえにストレスに関しては他人より少なく、他に興味があるものにすぐ手を出せる。

サラリーマンなんか、自分のいたくもない会社に「途中で辞めたらどこも拾ってくれない……」と縛られてる人がいるけど、それは見方を変えると時間の浪費であり限られた人生での苦痛の割合を増やしているとも言える。さっきは褒めてたけど

 

  • ストレスが少ない
  • 色々な事に挑戦できる
  • 人間関係に縛られない

 

このメリットはかなり魅力的で、おおざっぱに言うと「縛りがない」というのがとにかく嬉しい。

社会人になると自分の好きでもないことを好きでもない人とやらなければいけない場面が多いばかりに、最終的には心を病んでリタイアするなんていう本当にもったいない人生を歩む人がいる。

僕も続けざるを得ない状況になったり、強制されるようになってしまうと確実に心を病む自信がある。

 

そう考えると、継続させるだけが能じゃないよなって思っちゃう。

少しくらい、だらしない人生でも、自分が壊れなければいいんちゃう? って感じ。

 

 

 

続けるか、やめるか

 どんなことでもそうだけど、「ずっとやる派」だとか「すぐにやめる派」だとか両極な意見を述べるのは、わりと思考停止した人間の言葉だと思うので、うまい落とし所を見つけなきゃいけない。

 

そこで、1年という時間で考えると3ヶ月というのは四半期であり、とてもキリが良い期間だと思う。

 

例えばスポーツやこのブログなんかでも、「自分に向いているか」「楽しいか」というのがすこ~~~しだけ見え始めてくると思うので、ここを基準にするといい。

高校の頃やっていた器械体操も、この期間で少しできることが増えてきて、最初の頃は「筋肉痛とにかくツレェ……」が、「お、割と体動くようになってきた!」ってな感じになったし、筋トレに関しても同様に「あ、ちょっと体型変わってきた!」というような感じに落ち着く。

 

反対に野球部に入ったときは、3ヶ月以上続けてわりと結果を残せず、思ったより上達もしなかったので早々にあきらめた。その後のバレー部もそんな感じで「あ、俺って球技全般が苦手なのね」と知ることができた。

それからというものの、遊びは別として競技としての球技には一切手を出してません。

楽しくはあったんだけどね

 

苦行のように2年も3年もやって「やること」が目的になってしまっては元も子もないし、逆に1週間やってみて「分かった気分」になって本当の楽しさ、奥深さを知らずに終えてしまうのも非常にもったいない。

 

まずは3ヶ月。何かをやるときにはその期間を基準に考えてみましょう。

僕はブログを3ヶ月やってみて思った。

「前回すぐやめてこの楽しさに気付けなかったのは損だったなー」と。

そらそうよ、2~3個クソ日記みたいな記事上げて「あー誰も見てねぇな」なんてお前どんだけ自分が人気者だと錯覚してんだよと。

 

そうやって自分に「気付き」が生まれれば、無理に継続なんかしなくてもいいんじゃなかろうか。

 

人の気持ちを考えない大人は言う

ここで続けられなかったら社会に出ても通用しないぞ

と。

 

それを聞いて僕は思う

そんなの俺の勝手だろ!

と。

 

ここで続けたら社会で通用するのか? そんなに社会で生きていく上で重要なファクターなのか?

 

その人は続けたことを「無駄な時間だった……」後悔しても面倒など見てはくれないし、そう忠言したことを間違いだったと慰めの言葉をよこしてもくれない。

 

大切なのは結果じゃない、過程だ!

なんていうことが言えるのは、そこから良かろうが悪かろうが自分の納得いく結果を導き出せた人間が言うことだよな!?

過ごした時間が無駄に思えたのなら、それは素直に無駄だったと後悔したほうが何十倍も人間らしく、自分らしい答えだと思う。

 

だから「継続は力なり」は自分が楽しい、やっていて頑張ることが苦じゃないことに関して考えるべき。やりたくもないことを続けるのは、地獄が続いているだけでしかない。

 

というわけで今あなたが悩んでるそれ、3ヶ月やってからやるかやらないかをまた考えてみよう。

 

 

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