にちプチ 【Nichi-Petit】

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日常のプチ情報やプチンときたことを書きなぐるブログ

シン・ゴジラの感想をネタバレを含みながら猛烈に語る

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TOHOシネマズ新宿にて シン・ゴジラ

 

 シン・ゴジラだった。何を言ってるかわからないかもしれないが、シン・ゴジラだったんだ。

大まかな感想を言うと、震えた。心も、体も。

そして、とにかく情報量が豊富な映画だった。

 

その感想を、使える限りの言葉を使って読んでくれてる人に伝えていきます。

 

 

 

『シン・ゴジラ』の『シン』って何よ?

 

 ね、何だろうね。てことで色々調べてみると、どうやら限定された言葉じゃないらしい。

それは『新』であり、『真』であり、『神』であるそうだ。『sin(宗教上の罪)』なんかもそれに含まれるらしく、様々な言葉を当てはめることができる。

『進撃する』の『進』、そして『震撼する』の『震』もその一つ。

 

何にでも当てはめることができるあたり、情報量が半端じゃない。

そして、その『シン』の持つ意味は鑑賞する僕らにも委ねられていた。

(世間に対して)大きく出たタイトルだな、と思った。

 

 

 

 

『新・ゴジラ』

 

 全く新しいゴジラだった。

それまでのゴジラが核実験の放射能による突然変異であるのに対して、今回は核廃棄物への摂食(接触?)行動による水棲生物の突然変異。

原発や、核処理施設なんかの出した「ゴミ」が原因となっている。

 

人類が作り出したゴミが原因で災厄を招くという構図、そしてそれらが進化(変態?)していく姿は『ゴジラ対へドラ』の設定を取り入れたようにも思える。

 

そして僕らの前に姿を現した新ゴジラは・・・

 

何コレ!?!?!?

 

海から現れた最初のゴジラの姿は衝撃的なものだった。

パンフレットや、ポスターで見たあのゴジラと全然違う!

 

たとえるならウーパールーパーか、オタマジャクシか・・・

薄く膜が張り、外に飛び出すような大きな目、体をくねらせ前進する姿、そしてエラ。

それらは両生類のそれに非常に似た特徴を持っていた。

 

そのゴジラがとにかく不気味だった。

体を大きくくねらせ、前だけを見続けひたすら進む。何が目的かなんてわからない。

とにかく進む。

 

目がヤバイ。本当に何を考えているかわからない目。

パッチリ開いたまんまるなお目目。そんな不気味な巨大生物が猛烈な熱を帯びながら前進する。

もはやホラー。

 

程なくしてその両生類は劇的な変化を遂げる。

 

手ェ生えてきたああああ!!!

 

環境に合わせてなのか、それとも成長期だったのか、とにかくティラノサウルスのような慎ましくて小~~~さな手が生えてくる。

その生えかけの状態で一旦ゴジラ退場。海に戻る。

 

「あ、コレは次完全体で出てくるな。」僕は思った。

予想通り、ゴジラは完全体、パンフレット通りの姿で現れた。

 

僕は当時できるだけ『シン・ゴジラ』の情報を仕入れないように努めていた。

見た時の衝撃を強く味わうため、そして物語の展開を「あ~、こことあの予告のシーンが繋がるわけね」などという風に読めないようにするためだ。

唯一知っていたのは完全体ゴジラの見た目と長谷川博己の「あれがゴジラか」のセリフだけだ。

 

それでもゴジラの姿だけはちゃんと知っていたつもりだった。

でも動いている姿を見て思った。「こいつはヤバイやつ」

 

ボキャブラリーが乏しいのは事実だけど、本当に最初に出てくる言葉は本能的なもんだと思う。「こいつはヤバイやつ」

 

何がヤバイか今思うと、あの目。

お目目ぱっちり幼少期のヤバさが1だとすると、完全体のお目目ぽっちり(小さい)は200くらい。もっと何考えてるかわからない。

 

ドラゴンボールの『ミスター・ポポ』みたいな不気味さにターボがかかったような怖さ。

どこを見ているかわからない。何をしようとしているかわからない。

 

案の定自衛隊はそこで攻撃を仕掛ける。

ン十mmバルカンという、人間が浴びようなら一発で四散、重戦車ですらハチの巣になるような兵器を使っても何のダメージもない。

 

それじゃあこれはどうだとばかりに今度は地中貫通爆弾(バンカーバスター)を投入。

おお! 今度は効果があるようだぞ! 背中にくらい血を流すゴジラ。

 

しかし、それは開けてはいけないパンドラの箱だった・・・

 

ゴジラは自己を防衛するためか、口を大きくあける。

口の開き方もヤバイ。カバの口は150°開くという。でも新ゴジラはそんなもんじゃない。少なく見積もっても160°か、ほぼ180°開いてるとみてもいいくらい開いてる。

 

そして下唇。

何故か縦割れの状態で下唇も開いている。

食虫植物とかそういった類の化け物に似た感じ。ビオランテに少し寄せてきたのかな?

 

とにかく、その動きで

「おおお! ついに放射熱線解禁か?」と思ったら・・・

 

 

ゲロだ。あれはゲロだ。

地面に臥したゴジラの口から出てくる真っ赤な炎。ぼわぁあああああと燃える東京の街。

今までは歩いて街を破壊していたがその比ではない甚大な被害。一体何キロ先まで燃えてしまったんだろう・・・

 

しかもコイツ、その後口からだけでなく背中からも放射熱線を出してきやがった。

 

ここにきて流れる悲壮感漂うBGM。

思えば見ていて一番震えた&泣きそうになったのはこのシーンだ。

未曽有の災厄に対する人類の無力さが見せつけられた瞬間。

何年も、何十年もかけて作り上げてきた文明が、たった数時間で破壊し尽くされる無常さ。

 

 

それらの色々な感情が僕の体幹を突き抜けて、泣いた。(泣いてない)

 

 

何だろうこの感じ、何かに似てる・・・と思ったら、かつてPS2で遊んでいた『地球防衛軍2』に出てきた『ソラス』という怪獣だ。

あいつが吐く炎は、「ここまで来れば大丈夫だろ」と思っている自分たちの想像を超えて遠くまで襲い掛かってくる。(即死)

そのビジュアルにすごく似ている。(ソラスのモデルはかつてのゴジラだろうが)

 

口が開いて余計際立ったのは、歯並びの悪さ。

もうね、今までのゴジラが矯正済みかと思うくらい歯並びが悪い。

登場人物の間でも「歯ァガッチャガチャやな」みたいなやり取りが少し見られた。

 

ゴジラの活動を停止させる方法として血液凝固剤を直接口から入れるという作戦(ヤシオリ作戦)ってのがあって、ポンプ車を使って倒れたゴジラの口にノズルを入れるんだけど、ヤバイ奴の歯科治療にしか見えなかった。

痛かったら右手挙げてくださいねーってやかましいわ!

 

最後のゴジラが沈黙するシーン、尻尾の先に人の形をした付着物が無数にある描写が。

正直この正体はわからないまま物語は幕が下りるんだけど、考えられるのは

 

・ゴジラに触れて吸収(付着?)されてしまった人間

・ゴジラの子供(無性生殖できるらしいので)

・たまたまそんな形をしてた(おい・・・)

 

この3つくらい?

僕としては、最初の「人間説」が濃厚だと思ってたんだけど、じゃあラストシーンでこれをアップにして移す理由は? ってなるとう~ん・・・

だけど、一個一個のシーンに意味を埋め込むことだけが能じゃないと思うので、あくまでディティール紹介の一つだったのかなぁ・・・

 

チェルノブイリの原発事故で、溶けだした燃料が人間の身体を覆っちゃった「象の足」って呼ばれるヤツがあるじゃん? そういう感じかと漠然と考えてる。

 

これだけでも新ゴジラのヤバさ(主にビジュアル)が大分伝わったんじゃないかと思う。

 

 

 

『震・ゴジラ』

 

 これは最初にゴジラが現れたシーンで多くの日本人が感じたんじゃないかと思う。

最初のゴジラ上陸シーンは、海から河川を通じて行われる。

その過程で船や車、建造物が押し流されながら陸地に迫ってくる様は、まさに東日本大震災の「津波」の映像と酷似している。

 

これは経験していた人間からすると相当ショッキングな映像だったことだろうと思う。

当時東京にいて、東北でのその津波映像を見ていた僕らでさえ、「これ、映画じゃないんだよね?」状態だった。

 

もちろんこの描写であの悪夢を蒸し返す人もいるだろう。

それに対する批判も全くないということは無理だ。

でもその禁忌にあえて触れるのは何故か?

 

それはこの映画のテーマが「乗り越えること」に重きを置いているからじゃなかろうか。

 

起こってしまったことはもうどうにもならない。しかしそれは乗り越えることはできる。

長谷川博己扮する矢口もそんなようなことを言っていた。

映像表現の一部分を切り取った考察ではあるけど、そういう(制作側の)冒険も含まれてるんだろうなあ。

 

 

 

『親・ゴジラ』

 

 これ、僕がこの映画を見て一番感動した部分かもしれない。

だから憶測も含めてめっちゃ主観で語る。

 

今作の効果音、「昭和の特撮の効果音」をたくさん使ってるんだ。

僕は庵野監督と同じように、「帰ってきたウルトラマン」が大好きだからそこを中心に考える。

 

例えばゴジラに兵器が着弾した時の爆発音。

それからビルが破壊されるときの瓦礫が崩れる音。

ゴジラが倒れるときのドドーンという音。

ゴジラがもぞもぞ動くときの音。

 

パッと思い浮かぶだけでもこれらはウルトラシリーズで使われてた効果音のまんま使用されていた。

もはや本家ですらデジタルリマスターと称して効果音を新しいものに変えてしまったこのご時世で、敢えて原点に戻ってその音源を使用している。

 

これが愛じゃなくて何だ!? 

もはや親の愛に似た愛情。

 

思えばさっき言った『ビオランテ』も『帰ってきたウルトラマン』に登場する『合成怪獣レオゴン』という怪獣がモデルになっているという。

 

新ゴジラと言いつつも、昭和特撮の愛している部分を忘れないところは、単なる商業監督でなく、一ファンとしても作品を作ってるんだなーと感動した。

 

僕はこういう過去作リスペクトが大好きです。

だからウルトラマンメビウスも、仮面ライダーディケイドも、過去作への愛がこもっていて好感が持てる。

新しいものを作り出す心意気は大事だけど、過去作への愛も大事。

 

だから声を大にして言いたい!

円谷プロも石ノ森プロも含め特撮業界全てに!

あなたたちが残してきた作品は素晴らしい!!

もっともっとも~~~~~っと自分たちの作品に愛をもって、商売っ気なんかに負けないでほしい!!

 

世の中で生き残るためには難しいことを言ってるけど、そんな気持ち。

 

 

 

 

『深・ゴジラ』

 

 僕は正直予告編で見た長谷川博己の演技に疑問を持っていた。

「あれがゴジラか(棒)」

 

ん~~~、なんか、違う!!

断っておくと、決して彼の演技の稚拙を言ってるわけじゃない。

『鈴木先生』や『デート 〜恋とはどんなものかしら〜』で出てきた彼は本当に輝いていた。そう意味で言うと、僕は彼が好きなんだろう。(ホモじゃねぇよ!)

 

でも今回の予告で見た彼の演技は「なんか、特撮向けじゃないな」という感想。

 

 

だが!!

 

 

その感想はこの映画を視聴して180°・・・いや、540°変わった!!

 

 

この映画は、役者の演技がどーのこーのなんて言う些末な話で出来た映画じゃない。

よくいるじゃない? 中途半端な俳優の卵みたいな人間が

「あの映画のあの芝居は下手すぎる」だとか「全然気持ちが見えてこない」とか。

 

クソ食らえ。本当にそんなヤツはうんこ食べてろ。

 

僕も演者を志すものとして一瞬恥ずかしいことを言ったなと感じてる。

あれは演技をどうこうして何とかなる映画じゃない。そう思ってるんなら役者の思い上がりだ。

もちろん最低限の水準は必要だけど、大事なのはそこじゃない。

 

「『日本人たる』自分たちの人間性がいかに見えてくるか?」

それがこの映画に「演技」と言うものが求められるなら唯一考えなければならなかった事だったと思う。

 

日本人の演技の稚拙さはよく海外でも言われるらしい。

実際海外の演技コーチと直に話したこともある。

「日本人はリアルではない」と。

しかしそれが僕にはわからない。

 

だって民族も風習も感じ方もすべて違うのに、なぜリアルじゃないと言い切れるのか?

『シン・ゴジラ』はそんな欧米の、いや日本人俳優(俳優かぶれ)の一部が持つコンプレックスにも似たクソ価値観に喝を入れてくれた。

 

早口。とにかく早口。台詞なんて聞こえなくてもいい。

でも感情表現はここぞという時は豊かに。そのメリハリ。

欧米風に言えば「リアルじゃない、そして不完全」。確かに全くリアルじゃない。

 

だがそれがいい!!

 

正直、日本人の演技に本当にリアルさを求めたら、抑揚のないうすら寒い演技になるだけだと思うんだ。

そういう意味で言うと、多少盛った演技と言うのは悪くない。いや、良い!!

感情表現が慎ましい日本は、それだけ演技に関してハンディキャップを負っているともいえるかもしれないが、それを逆に利用した実に日本の特撮らしい映画だ。

 

 

欧米よ、これが邦画だ!!

 

 

 

『死ん・ゴジラ』

 

 この映画はとにかく命が軽い。

洋画でよくある「(決戦前に)家族と抱き合って別れを告げる」とかいうシーンが全くない!

あるとしたら、電話あるいはメールかLINEでちょこっと連絡を取る程度の描写。

 

でも現実ってそんなものかもしれない。

あれだけの人数で動いている計画(ゴジラ駆除計画)のなかで、「僕は家族を・・・国を守る!!」なんてスタンドプレーじみたことを言い出しても誰も共感しない。

それだけ差し迫った状況であり、今この状況を打破するために自分に出来ることをやるしかないのだ。

 

誰かが家族と最後の一時を過ごしている間に血液凝固剤の仕入れが遅れるかもしれない。

誰かが家族と電話している間にも、ゴジラはこっちに向かって歩き出してくるかもしれない。

そういった予断を許さない状況で、「個人」が尊重されることがおかしいことなのかも。

 

だから死ぬ。めっちゃ人が死ぬ。

矢口も「この作戦で生命は保証されません」と明言している。

かと思いきや攻撃区域に老人がまだゆったり歩いているだけで首相は攻撃命令を解除する。

 

命は軽いが、命に対する考え方は重い。

その攻撃を止めれば、もっと多くの人が死ぬかもしれない。

そしてせめぎ合う人間の尊厳への価値観。誰も間違っていない。だからこそ難しい。

 

避難命令が出ているにもかかわらず、のんびり(本人らは急いでいるつもりだろうが)避難準備をする家族。

案の定、住んでいるマンションにゴジラが体当たりし、絶命。

何とか生き延びて救助されるなんてご都合主義的なエピソードは一切なし。

 

極めつけは機能停止した総理の執務場所を放棄してヘリで移動する場面での放射熱線でヘリ撃墜。

総理だろうが同じ命に変わりはない。

 

これ、矢口(長谷川博己)も死ぬんじゃないの? と思うくらいの展開。

死ななかったけど

 

でも、この描写があったからこそ危機感に拍車をかけている。

見ていてハラハラがもうほんと止まらなかったね。

洋画なら「あ、こいつ生き残るな」っていうのが分かる作品が多いじゃない。邦画でも多いけど

 

でも『シン・ゴジラ』はそんなの気にしない。死にまくり

 

 

 

『芯・ゴジラ』

 

 観ているとイライラすることが多いのが、政府の対応決定の遅さと手続きの冗長さ。

超法規的手段を取るべきこの局面でも、会見一つ始めるのに手続きが必要。

 

最初のゴジラ登場シーンで「捕獲か、駆除か?」みたいなシーンがあるのだが、そこでも「学術的に貴重」であったり「動物愛護団体が」みと言ったような現実でも大いに起こりうる(絶対起こると思う)横槍がいっぱい邪魔をする。

 

こんな時に何言ってんだ!? と言いたくもなるわ

 

でもずっと見ているとその手続きを愚直に守ろうとする姿勢は、あながち悪ではないのかなと思ってきてしまう。

そういう縛りの中で必死に現状を変えようとする登場人物には大いに感情移入できたし、事実そういった手続きがなかったら、日本は東京に即座に熱核兵器を使用されて終わっていた。

彼らを救ったのは、自分たちの枷になっていた諸々の手続きだったのだ。皮肉だなあ

 

日本政府の「芯」みたいなものを鋭く指摘してうまく利用したシーンだと思う。

そこで頑張る官僚や政治家の皆様は、まさに現代のヒーローであった。

 

 

 

『心・ゴジラ』

 

 なんかもういよいよと言わんばかりにまとめにかかってる感があるけど、特撮って『日本の心』だと思った。この映画を見てほんとにそう思った。

 

 こんな映画を作れたことを世界に誇って良い作品だと思います。

俺が作ったわけじゃないけどな!