社会人はお金と時間のどちらを大切にすべきか?

時間とお金、どっちが大切?

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あなたは「時間」「お金」どちらが大切だと思いますか?

これは人間らしい生き方を追求する上で永遠のテーマですよね。社会人的にもっとかみ砕いて言うならば「激務で高給」「楽で薄給」ってとこ。

ある人は贅沢な生活を追い求めるためひたすら働き続け、その対価として大金を手にします。またある人は自身の自由な時間を確保するため、収入には目をつぶってひたすら自分の好きなことにその時間を使います。

お金と時間というのは切っても切れない関係、いわゆるトレードオフという形で成り立っています。どちらかを優先するにはどちらかを犠牲にしなければならない……しかし、ほとんどの人は「片方だけあれば良い」というような極端な話ではなく、「両者のちょうど良い着地地点を定めたい」という考えだと思います。お金だけあっても暇がなければ使えないし、時間があってもお金ないとおいしいもの食べられないし

では、人間として幸福を得るためには「お金」と「時間」どちらを大切にする方がより良い人生を手に入れることができるのでしょうか?

もくじ

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若者よ、時間を大切にしろ!!

 僕は人生において幸福を得るために大切にすべきは、間違いなく「時間」だと思っています。

それも若ければ若いほど「時間」が持つ価値は高く、この時をいかに大切に過ごすかで人生に対する幸福度というのは変わっていきます。若い時の時間というのは存在するだけで尊いもので、これから色々なことを体験し、自分の物にするだけの物理的余裕と伸びしろがあります。だから年を取ると「あの時あれをやっておけばよかった」というような後悔が生まれるわけ。僕も結構後悔してることあります

一方でお金は持っている人が何歳でも、その時代がいつであっても、国が傾き世界が混乱の渦に巻き込まれない限りは一定の価値として認知されます。ということは、有限であり、日々価値を少しずつ下げていく「時間」の方がナマモノであり、当然大切にすべき。

なぜ「時間」に対して「お金」は二の次なのか

 そもそもこの日本という国はやたら仕事を選んだり、相当無茶な自己実現でもしようとしない限りは、生活に困らない程度のお金を手に入れることはできます。

それに対して時間はどんなに努力・工夫しても1日24時間以上確保することはできません。つまり雇用されて賃金を得ている僕らは、有限である時間を削りながらお金を手に入れているわけです。

これって相当もったいないことだと思わない?

長時間労働して得られる賃金なんてたかが知れていますし、たいがいの会社組織は社員を「どこでもある程度通用する人材」に育てるくらいまでしか面倒は見ません。つまりこれからも大切な時間を削り続けて、フツーの会社でフツーに40年ほど働くフツーの人生が待っているということで、市場価値的には本当に平均。ということは、これからも転職して入れる会社は同じような待遇・給与の会社です。

一方で自由な時間に、自分の好きなことをして得られるかけがえのないスキルは自分を「唯一無二の存在」に昇華させ、真の意味での市場価値を高める結果になります。

「同じことをできる人間が存在しない(少ない)」ことは、それに特化した業界では大いに重宝され、もちろん賃金も高いです。つまり「お金」より「時間」を優先したほうが結果として時間もお金も両方を手にすることができるというわけ。なんちゅー皮肉……

「お金」は自分で価値を変えることができませんが、「時間」は自分のやり方でその価値を変えることがいくらでもできるということであり、僕自身ブログを好きで続けていて人生が一変しました。

会社から帰ってきた数時間をブログ記事の執筆にあてることで、日々読者は増加していき、現時点でも月間10万~20万PVほどのアクセス数を出しています。ここからブログの広告収入や、企業からの寄稿依頼などが寄せられるようになり、収入は微増ではありますが右肩上がり。これが今まで通り会社「のみ」、お金「のみ」に固執していたら実現しなかったと思います。

これは僕の場合の一例であり、「みんなブログやって稼ごうぜ!」っていうことではなく、「好き」から自分の可能性を広げるのは将来自分に「お金」として返ってくるし、人生の大半を雇われた仕事「だけ」で終えるよりも有意義だってことです。それ即ち「幸福」を感じる瞬間!

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じゃあ仕事にとらわれないホームレスが最強?

 では、ホームレスとして時間を持て余しているように見える人はどうなんでしょうか? 「時間は腐るほどある」ってことで最強なんでしょうか?

答えはNO。明日食べるものに困っている人、仕事がない人……そういった人達は「時間がある」とは言えないと思っています。食べるものに困っているということはその「食べるものを得るため」に時間を使わなければいけません。つまり潜在的に自分が自由にできる時間は少なくなっているということ。「時間がある」とは、何かしらの収入を得て、一人の人間として社会で自立した生活を送っている人々が持つ余剰時間の有無です。だから時間を得るために今の仕事や財産を投げ打って……というのは本末転倒であり、非常にナンセンス。

人は「ドラマチックな展開」に強い憧れを抱くため、「全てを投げ打って、どん底から這い上がり大きな成功を掴んだ」というようなサクセスストーリーが大好きです。マドンナの「35ドルを片手にニューヨークへ」だとか「苦節20年、やっと俳優として銀幕デビュー!」なんかの言葉はとてもキャッチーだし、夢にあふれてます。しかしそれを実現できる人間は多くはない上に、才能があったとしても運要素もふんだんにあるため、ゴールの見えない博打です。

それより、薄給でも働く時間の短い仕事を選んで、そこから余った時間を大切にして唯一無二な自分のステップアップのために使った方が心も体も安定して上を目指せます。時間の価値とは、「自分が何に使ったか」で決まることであり、「1日に○○時間暇がある」というのは何の意味も持ちません。

「時間」はすべてを実現させる資産

 「お金を優先させる」=「時間を浪費させる」であり「時間を大切にすること」=「お金含む様々なチャンスを生みだす種を育てる」ということ。

あなたが「今の人生を変えたい」だとか「一発逆転したい」というような夢にあふれた目標を持つならば、背伸びをして激務な会社を選ぶのではなく、まずは身の丈に合ったソコソコな企業を選び、その裏で着々と逆転の種を育てるほうがトータルでは得。

ってわけで俺、頑張んなきゃ!!!!

そんな話です。

エンド

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